バカンス 一路アルザス地方へ
さて、ノルマンディからパリに戻り再び荷造りをして、義両親はミラノ行きの電車で帰宅、私達と甥っ子3人はアルザス地方へと出発。
甥っ子との完全なる3人旅は初めてなのだけれども、今までにも何回も数日だけ一緒に過ごしたりはしているし、3人じゃなくても旅行は何回もしているので多分大丈夫だろうと。
やはりパパと双子の叔父さんであるうちの夫のことは甥っ子にとって特別らしい。
何せぱっと見、そっくりだもんね(笑)
アルザス地方では、最初の数日をコルマールという街で家を借りました。
こんな感じのカラフルな建物が並んでとってもかわいい街。
中心地にアパートを一室借りられたのですごく便利でした。
猛暑でちょっと夜寝苦しかったけど。
いくつか近くのお城の跡とか小さな村とか見たけれども、すごく面白かったのが「猿の山」という場所。
子供がいる旅行者にはもちろん絶好の場所だけれども、大人だけでも楽しめると思います。
まず公園に入ると、係員さんから色々説明があって両手いっぱいのポップコーンが渡されます。これはおやつということではなく、公園の敷地内にたくさんの猿が自由に過ごしているので、このポップコーンを与えていいということなのです。
こんなに近くまで寄れます。
敷地内にはたくさんの係員が立っていて、例えば小さな赤ちゃん猿がこっちに寄ってきたのでかわいくて写真をたくさん撮っていたら係員が寄ってきて、あまり長く子供の猿に近寄っていると親が怒って攻撃する場合もあるのでもうやめてください、とかきちんと説明してくれます。
猿たちはかなり人間に慣れていて、お腹出して寝転んでいたり、ポップコーンを差し出しても、やる気なさげに渋々と言う感じで食べる猿なんかもいて面白かったです。
またアルザス地方は、コウノトリで有名でお土産屋さんにはコウノトリのモチーフのものがたくさん売っています。
とても大きな鳥で、くちばしをたたくような不思議な音が聞こえた時は近くに彼らがいます。
これはフライブルグの近くの動物公園で見たコウノトリですが、集落で屋根の上に大きなコウノトリの巣も見かけました。
ストラスブルグにも行きました。運河が張り巡らされた街って歩いてて気持ちいいなあ。
大聖堂のステンドグラス。
オルガンの装飾がとっても美しかった。
欧州議会の近くまで行ってみたのですが、その日はスペインのカタルーニャの独立に関するデモが行われていて、何十台も大きなバスから旗を持った人々がどんどん押し寄せてきてすごい騒ぎでした。
運河をめぐる観光船がちょうど前を通りました。
アルザス地方の建物もカラフルできれいでしたが、看板がとってもかわいい。
さて、数日過ごしたアルザス地方もここで終わり。
私たちはドイツへと入ります。
ここまでは私たちは街では英語で話していて、甥っ子はフランス人なのでどうしてもわからない時は彼に話してもらったりしていました。
レストランとかで私たちはイタリア訛りの英語で注文するのに、突然子供がフランス語で普通に話すのでどこに行っても驚かれました。
バカンス ノルマンディ地方へ
ノルマンディ地方へみんなで行くことにした目的は、
1. モネの庭を見に行く
2. ノルマンディ上陸作戦の跡を見に行く(特に義父向け)
3. 牡蠣とか魚介を思いっきり食べたい
そして、4.実は私には大学の同級生でずーっと交流があり続けている友達がカンにいるから何年かぶりに会いたい
そして、5. カニキュール(猛暑)が来るとわかってからは、ノルマンディ行ったらパリよりましなのではという淡い期待もあったので。
モネの庭は混む、と読んだので初日に朝早く出発して行ったのですが、着いたらどんどん観光バスで東洋人と多分アメリカ人の団体が押し寄せてきていました。
いやでもここ、遠くからわざわざ来る価値確かにある。
むせかえるほどの植物の香りと気配の中を歩くのはとても気持ちよく、ものすごい数の庭師がいるんだろうなと思わせる庭。
有名な太鼓橋。
藤の季節に再訪したいなあ。
ノルマンディー上陸作戦の跡を辿る旅では、ペガサス橋記念館、米軍墓地、アロマンシュという海辺の街に行きました。
パリより暑くないはずと期待していたノルマンディ地方も結局暑くて、特に広い墓地内を歩いている時に熱射病になりそうでフラフラでした。
どうしてもこの欧米の白っぽい墓地というのが未だに慣れなくて、なんか日本のよりじめっとした感じはないのに、怖いんだよなあって言うといつも夫に笑われます。
この旅、大人6人プラス甥っ子で計7人の旅だったので泊まる場所を探すのが大変で、最終的にはすごい鄙びた村の改装したばかりだという大きな家を借りました。
あんなに暑かったのに、海辺のこの村に着くころからすごい強風が吹き荒れていて、車を降りるとさっきと10度以上違わないか?!という寒さ。
家はとても大きくてきれいで最初はみんな喜んでいたのだけれども、夜に1階のトイレから変な音がし始めて結構大変なことに・・・
家の持ち主は隣に住んでいるので、色々直してはくれたのだけれどもまあちょっとその晩はごたごたしました。
(風に身体が押されて動けない甥っ子)
楽しみにしていた牡蠣や魚介を近くのお店で色々買ってきてみんなで料理して食べました。私は牡蠣は日本にいる時嫌いだったのですが、それはどうやらカキフライとか湯豆腐と一緒とか火を通したものが嫌いだったようです。
生牡蠣はちょっとお腹を壊すのではというリスクは常にあるけれども、何度かフランスで食べて今のところは嫌な経験はなく。
牡蠣が大好きな夫と義弟ははりきって牡蠣用のナイフまで買っていました。
さて、私的にメインイベントであった同級生との再会は、わかってはいたけれどもとても幸せな時間でした。
彼女と前に会ったのは2011年で、あの年の前後に色んなことがあってすごく辛かった私は彼女に会いに行って数日たくさん話して美味しいものを一緒に食べて元気になったものでした。その時彼女はもう結婚していたけれどまだ子供はいなくて、会わない8年の間に彼女は2人の男の子のママになりました。
そうそう前と同じ街の中で引っ越しもしていて、とても素敵なおうちにお邪魔しました。
彼女の夫はフランス人でうちの夫はイタリア人なので、4人で会話は英語、日本語、フランス語、イタリア語の4つが混じってそれはそれで面白かったです。次はもう8年も間を開けないで再会しようと約束。
次は是非私達が引っ越しを済ませて、彼らがミラノに遊びに来てくれるといいなあ。
最後にもう1つ、バイユーという街で有名なタペストリーを博物館で見ました。
かつてこの地域一帯を治めていたノルマンディ公ウイリアム征服王のイングランド征服の様子が描かれたタペストリーなのですが、長さなんと70メートル!
オーディオガイドを聴きながら(日本語もありました)ガラスケースの向こうに置かれたタペストリーを見るのですが、ちょっとヘタウマっぽい絵が面白くてついつい引き込まれてしまいます。
バカンス パリへ出発
暑くなってくると、今年の夏はどこに行くの?なんてイタリア人達は会うと聞いてくるようになります。
子供たちは6月10日あたりに学校が終わり。
(結局みんな6月と7月はお金払って夏学級とか近所の教会主催の子供会みたいなところに行っているのだけど。あとは祖父母が近くにいて助けられる家族はそこに預けられていたり。せめて6月末に学校終わりにすればいいのにな、なんて思ってしまう日本人。)
私も夫もあまり海辺にずっといて食事して海行っての繰り返しをする夏休みは好きではなく、何回か山の地方へ行き毎日ハイキングをする夏休みもしたのですが、もともとちょっと高所恐怖症気味の夫が年々ひどくなっていくのと、数年前からパリにいる甥っ子(現在中1)が夏にちょっと一人でイタリアに来るようになったので彼も楽しめる旅を、更にどんなに暑くてもずっと家から動かない義両親を少し連れ出そうとか色んなことが重なるようになってきました。
というわけで今年は、車で義両親と4人で夫の双子の弟家族が住むパリへまず行くことに。私たちは今まで車で行くことはしたことがなかったのですが、義弟はよく車でやってきます。
数日のんびりパリに滞在した後は、みんなで車2台でノルマンディー地方へ数日行き、再びパリに戻ったら義両親はミラノまで電車で帰路につくことにし、私と夫と甥っ子は3人でパリを車で再び出発し、アルザス地方へ向かい数日かけて徐々に南下していき、ドイツのフライブルグ、黒い森の地方を通り、最後はスイスのバーゼルに半日滞在してミラノ郊外に帰るという約2週間の旅に決定。
6月23日の朝自宅を出発。
パリまでは休憩時間を入れて10時間から12時間くらいかかる予定。
ミラノからパリの列車だと7,8時間というところ。
義弟家族がこっちに来る時は、モンブランの下を通る長い長いトンネルを超えて来るのですがこのトンネルは通るのに結構お金がかかる。
普通車で47ユーロ、もしも帰りが行きの日から7日以内であるならば往復割引があって58ユーロ。
しかし今回私たちは2週間以上の旅なので、このトンネルを通るには100ユーロ近い料金がかかってしまう。
そこでモンブランは通らず、まずスイスに入りサン・ゴッタルドという峠を通ることに。
スイスの高速道路には料金所というものがなくて、年間パスを買うことになります。
例えば1年間に1回しかスイスに行く予定がなくても、毎日スイスの高速道路を使う人も一律料金。
ボッリーノとかヴィニェッタとイタリア語では呼ばれるシールのようなパスを買ってフロントガラスに貼ることになります。
これは国境でも買えるようですが、私たちはミラノの地下鉄M1のPalestra近くで買いました。
40フランなので37ユーロとかそんな感じです。
ここの事務所、グーグルマップによるとものすごい評価悪いのですが、中にってすぐにこのパスを買いに来たのですがと聞いてみると、反対側のデスクに座っているおじちゃんが売ってくれます。
どこの出身の人かわからなかったのですが(多分南の方)すごいきついアクセントで話すおじちゃんは明るくて、日本人かと聞かれてそうだと言うと車やバイクへの愛を語っていました。
一方フランスの高速道路はイタリアと同じで走った分を払う形式ですが、義弟やフランスに前住んでいた友人の話によると、県道などを走っても状態はいいし時間もそこまで大幅に変わらないから節約の為に使えるよと教えてもらいました。
結果、バカンスの間かなり県道を高速道路の代わりに使いましたが、特に不便さはなかったです。
出発した日、うちを出てバーゼルに着くまでは肌寒いくらいでみんな薄いセーターなんかを着ていました。
フランスに入ってから徐々に晴れ間が見えてきましたが、長距離の旅にはちょうどいい感じでした。何度も休憩を取りながらひたすら、バーゼルを超えてからは大きな都市を通ることはなく、ひたすら県道沿いのひなびた村だったり、時々すごくきれいなでも小さな町をいくつもいくつも通り、12時間後に義弟の家に到着。
今までパリに春や夏に行くといつもミラノよりはちょっと涼しいという認識だったのですが、なんと今回はカニキュールとかいう猛暑にぶつかり、着いた次の日からはもう夜寝るのもツライほどの暑さ。昼間は家中の雨戸を閉めてじっとしていたい感じ。
義両親はすぐに「もう息子たちに会えただけで私達は満足」と言ってパリ観光にはいかないと。
私達も結局いつものように歩き回るのは危険な感じだったので、ちょっと歩いてはクーラーの効いたお店に入ったり、木陰を求めたり、座ったり。
少し前に火災の起こったノートルダム大聖堂の前にも行きました。
見学したのは15年前で、ステンドグラスの美しさに思わず口を開けたまましばらくぼーっとしてしまったのを覚えています。
その時、大聖堂の前で北欧のどこからか来たおばさんに声をかけられて写真を撮ってくれないかと言われました。
私も一人だったので写真を撮ってもらい、少し話をしました。
私もおばさんも英語がそこまでできない中でも、当時今よりちょっとドイツ語を知っていた私は時々おばさんが言うことがドイツ語みたいでなんだかわかる感じがしました。
そしてどういうわけか意外と意気投合して、そのまま一緒に歩いてリュクサンブール公園まで行き、また写真を撮りあって(今みたいにセルフィーなんていう概念はなかったので1人ずつ)そこで別れたという思い出が。
また、パリに来た時の私の楽しみの1つは、タイ料理やベトナム料理などアジア系の食事をすること。
今回は初めてボブンを食べました。
オペラ座の近くを歩いていたら、次々に近くで働く人々が吸い込まれていく小さなお店があったので入ってみました。
私はほとんどフランス語はできないし、夫は私よりはマシでもすごい喋れるわけでもなく、ここのお店はいくら英語で話してもなんか店員さんはずっとフランス語で話していました(感じは悪くない)。
どうやらボブンの上に何かショーケースに並んでいる肉や魚の炒めたものを乗せられるということを言っているとわかったので、白身魚の甘辛炒めを私は選び、夫はチンジャオロースみたいなものを乗せてもらいました。
次から次へとやってくるお客さんたちのほとんどはテイクアウトで、白米かチャーハンを選び、1つか2つおかずを選んで全部をお弁当みたいに詰めてもらっていました。
そして大好きなグスタフ・モロー美術館にも行きました。
ところが有名な絵が前来た時よりないなあと思って調べたら、なんと日本にコレクションは行ってました(笑)
でも、ちびっこだと思っていた甥っ子が急にここで最近学校で習ったと言って、絵を見ながらいくつか神話について説明してくれました。
義妹も突然説明し始めた我が子に驚いていました。叔母ちゃんもびっくりした。
ついこの前までポケモンカード日本から買ってきてなんて言っていたのに!(関係ないか)
あとやっぱりパリに来たら、オシャレな義妹にショッピングに連れていってもらうのが楽しい。
さっきから義妹と言っているけれど、実を言うと私のが年下。
彼女はイベント関係の仕事を長年してきたけれど、布や糸などを使った「絵」を作るアーティストでもあるので、服やジュエリーなど身に着けるものにはすごいこだわりがある。一緒に買い物に行くと思ってもみなかった色やデザインの服を勧められて、えーとか言いながら着て見ると新たな発見がいつもある。
そんなわけで今回もちょっと服を買ってしまいました。
アンブロジアーナ絵画館
15年以上ぶり?にアンブロジアーナ絵画館に行きました。
初めて旅行でミラノに来た時にここでカラヴァッジョの「籠に盛った果物」を見たことは覚えていたのだけれども、その他のことは全く覚えておらず今回来てみて、私は本当にここに来たのか??とますます怪しむほどに。
(まさか他の場所でこの絵のはがきを買っただけじゃないよな)
中心地のドゥオモからすぐそばの3番のトラムが発車する場所の前にこの絵画館はあります。
アンブロジアーナ絵画館は、枢機卿フェデリコ・ボッロメオ(Federico Borromeo)によって1607年に設立され、1609年に一般公開された「アンブロジアーナ図書館」を起源とし、一般に公開された世界で最初の美術館なんだとか。
重要な美術品があるのはもちろん、建物自体が本当に美しい。
私のお気に入りはこのモザイク。
中庭を望む外の廊下。
この絵画館にはダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」という彼の署名入りでさらに注釈付きのデッサンをまとめたものがあることで有名なんだそうです。
ちなみにここは、ロンバルディア州の様々な美術館の年間パスを持っていればいつでもそのパスを見せるだけで入場できます。
1年間有効で45ユーロですが、色々割引があって私が買った時は私鉄のトレノルドの定期券を持っているということで40ユーロでした。
周りでこのパスを持っている人に会ったことがないのですが、調べてみるとかなり色んな美術館に使えて、例えば王宮でやる特別展はたいてい14ユーロくらいするところをこのパスを見せると10ユーロに割引してくれることがほとんど(2019年情報)。
ドゥオモの近くだけでも、ドゥオモの附属美術館、20世紀美術館、スカラ座博物館、ガレリア・ディタリア、ポルディ・ペッツォーリ美術館があります。
私は別にこのパスの回し者ではありませんが、買ってからちょっと時間ある時に好きな美術館の好きな部分だけ見て帰るとかできるので思っていた以上に活用しています。
来年は買わなくてもいいかなと思っていましたが、来年もやっぱり買いたいなと思ってます(笑)
オペラの中の女性たち
「オペラの中の女性たち」というコンサートを我が町、チェザーノ・マデルノのボロメオ館のオーロラの間で開催しました。
今回は、オペラの殿堂、ミラノのスカラ座の合唱団員であるシルヴィア(ソプラノ)とオリヴィア(メゾソプラノ)が歌いに来てくれました。
この日は珍しく日曜日の昼間のコンサートだったので、リハーサルをしている時からたまたま散歩で通りがかった人などが次々に覗きにきて、本番は満員御礼でした。
前半はヘンデルとベッリーニのアリアから。
女性のオペラ歌手というと、美しいロングドレスに身を包んだ歌手を想像しますが、そうではない役もたくさんあります。
特にメゾソプラノには若い男性、少年の役を歌うこともありオリヴィアは「リナルド」というオペラのリナルド役と、「カプレティ家とモンテッキ家」のロメオ役を見目麗しい男装で歌ってくれました。
シルヴィアの悩めるジュリエッタのアリアも美しかった。
そして、私は今回スカルラッティのソナタを2曲。
後半は、まずモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」の姉妹の重唱から。
私はあっちの男性のがいいわ!なんて姉妹が楽しそうにおしゃべりしているのが見えてきます。
いよいよ最後はビゼーの「カルメン」より。
私は有名な前奏曲を。
そしてオリヴィアはカルメンのアリア「ハバネラ」、シルヴィアは恋敵のミカエラのアリアを。
アンコールはオッフェンバックの「ホフマン物語」の二重唱でした。
今回のコンサートの期待の若者枠はレッコ出身のチェロ奏者のフランチェスカ。
ラロの協奏曲第1楽章を演奏してくれました。
全員で記念写真。
パヴィアでコンサートのはずが
5月22日はミラノの隣の県パヴィア Paviaの病院内で3人の歌の方とコンサートでしたが、思いもよらぬことが起こり、私は演奏することができませんでした。
なんと私の乗った電車で人身事故が起こり、急停車した電車内にそのまま3時間ほど拘束されました。
事故が起こった時はコンサート開始まで2時間ほどあり、停止したのがその電車の種類では止まらない各駅停車の駅を数百メートル過ぎただけの位置だったので、自分を含め多くの乗客が電車から降りられないかということを車掌に頼んだのですが(降りられたら共演者がそこまで車で迎えに行くからと言ってくれていました)警察の命令で誰一人この電車から降ろすことはできないと。
少し前から夏のような陽気になっていて、この日は特に蒸し暑く海辺へ向かう電車は既にミラノでほぼ満員、そしてクーラーは効いておらずいくら窓を開けていても時間が過ぎる程座っているのがツライ温度に。
子供や年配の方が喉が渇いた、気分が悪いと外で検証をしている警察の人などに訴えるものの少なくとも私の近くにいた誰もが電車からは降ろされず、子供の泣き声が響き渡る中、みんながそれぞれ電話で状況報告をするのでイライラした空気は高まるばかり。
結局共演者は知っている限りのピアニストに電話をして、幸い代わりの人を見つけられ、そして私はコンサートが終わる頃、何の放送もなく突然電車は発車し無情にも動けば10分で目的地パヴィアに到着。
事故の影響でミラノ行きの電車はほとんどがキャンセルになっているだろうからと共演者がコンサートが終わった後に駅まで車で来てくれて、ミラノの地下鉄が通っているところまで送り届けてくれました。
全く私のせいじゃないというのは自分でもわかっているのですが、弾けなかったことが本当に悔しかった。
イタリア盲人会連合でのコンサート
去年もお世話になったイタリア盲人会連合でのコンサートに出演しました。
asakowatanabe-pianoforte.hatenadiary.com
去年はアルゼンチン・タンゴとオペラアリアなどのプログラムでしたが、今年は主にオペラのアリアや重唱、カンツォーネのプログラムでした。