新聞に載りました

f:id:tangolina:20200327003219j:plain

地方紙のGiornale di Seregnoという新聞に載りました。

 

コロナウイルスで辛いニュースばかりの今ですが、何か少しでもこの地域や県の明るい、頑張って生きている人の話題をということで、以前からうちの街のコンサートの情報などを記事にしてくれていた記者さんからインタビューを受けました。

結構大きく載ったので本当にびっくりです。

 

そもそもインタビューに慣れてない上に電話だったので、まず落ち着いてイタリア語が崩壊しないようになどと思うと受け答えが短くなってしまうし、少し話し始めると今度は私の悪い癖でたくさん色々言いたくなってしまうし、電話が終わった後、記事が出るまでは大丈夫だったのか不安過ぎてあのインタビューはなかったことと思うことにしました。

先生のお名前はインタビューでは言ってなくて、私のプロフィールから拾ったようです。

 

これからまたうちの街や地域でコンサートが再開できるのはいつなのか、今は全く先が見えませんが腐らずに、今できることをしっかり頑張っていきたいです。

まずは家にいることが今最重要なこと。

またみんなで音楽ができる日を楽しみにしています!

 

 

Concerto di Natale

今年のクリスマス時期のコンサートは、オルタ湖のほとりの美しい教会で演奏しました。

Chiesa "S. Nicolao", Sacro Monte di Orta

goo.gl

f:id:tangolina:20200327000921j:plain



サルデーニャ出身のソプラノ2人と、この教会のオルガニストとの4人でのコンサート。

名曲アルバムのような盛りたくさんな内容のプログラム。

1曲ずつ司会の方が説明や演奏者の名前を言ってくださったのですが、どうもすごく緊張しているようで、毎回私の名字が何か違う(笑)

というか私はほとんど全曲弾いてるので毎回毎回おかしな言葉になっていくので、途中から私だけでなくお客さんも「もう名前言わないで!笑っちゃうから!」みたいな雰囲気になってました。

その上に、サルデーニャの人の名字も微妙に難しい。

まさかのオルガニストの名字も微妙に言いにくい。

最後の方は何かの罰ゲームのようになりました(笑)

私は外国人だからまあよくそういうのあるのですが、まさか共演者みんなが難しい名字って本当に珍しいです。

f:id:tangolina:20200327001526j:plain

よく覚えていないけれど、ここでも何か面白いことがあったようです。

 

f:id:tangolina:20200327000951j:plain

f:id:tangolina:20200327001005j:plain


とっても寒い日で、先ほどの写真でわかるように私は珍しくドレスではなくスーツを着ています。

ジャケットの中は色んなものが仕込まれていたので結構キツキツでした。

2007年にヴェネツィアから東京に帰ってからすぐ買ったこのスーツ、なんやかんやで重宝しています。

 

合唱団での本番

先月の北イタリア日本人会の親睦音楽会でのご縁で、La Feniceという日本人会の合唱団の伴奏をしました。

毎年秋にはミラノの日本人学校でお祭りがあって、そこのイベントの1つにこの合唱団のコンサートがあります。

前からこのお祭りのことはもちろん知っていたのですが、参加するのは実は初めてで焼きそばの屋台、日本のきれいでおいしいお弁当、本屋さん、と学校内に一歩入るとそこは懐かしの日本の文化祭。

 

コンサートでは日本の懐メロに始まり、イタリアのカンツォーネまで。

たくさんのお客さんに聴いていただけて楽しいひと時でした。

 

数年前、とある教室で10人くらいの日本人のお子さんにピアノを教えていた時期がありました。

イタリアで生まれたお子さんも、様々な会社の駐在員さんのご家庭のお子さんもいて、日本語とイタリア語が飛び交う明るい教室でした。

当時教えていた子の半数はもう日本や別の国に行ってしまいましたが、このお祭りで生徒だった何人かと再会できました。

みんなとても大きくなっていて、もし街ですれちがっていたらもしかするとわからなかったかも。

 

Viaggio sentimentale

11月21日はCesano Madernoにてコンサートがありました。

 

f:id:tangolina:20200326233008j:plain

f:id:tangolina:20200326233026j:plain

www.musicandolavita.it

 

今回はヴァイオリンとソプラノとピアノというトリオ。

ヴァイオリンのジョヴァンナとはもう何回か共演していますが、ソプラノのフェデリーカとは初めまして。

ポンキエッリの作品に詳しい彼女と共に、初めてポンキエッリの歌曲を演奏しましたが、新たな魅力とこうして出会えるのは本当に嬉しい瞬間です。ソプラノ(軽くない声質)のレパートリーとしてもっと有名になってもいいのにな。

f:id:tangolina:20200326233450j:plain

f:id:tangolina:20200326233504j:plain

今回ソロでは、アルフレード・カゼッラの「シャコンヌによる変奏曲」を演奏しました。

そして今回の私のメインイベントは、弾く前に自分で解説をしたこと。

日本語で私が演奏前にぺらぺらと喋っているのを見たことがある方はいるでしょうが、やっぱりイタリア語だとああは喋れない。

原稿を作って夫に見てもらうと、もうほとんどダメ出しでコンサートの前数日はそっちにかかりきりになり疲れ果てました。ストレスから夫にもブチ切れ、かわいそうなのは夫ですがもうキーキーと私はしつこく原稿を直させるはめに(ごめんよー)。

なるべく原稿を読んでいるという風にならないように、目の前には置くけど自分の言葉で喋っているように話すのは難しかったけど、勉強になりました。

f:id:tangolina:20200326233927j:plain

f:id:tangolina:20200326233946j:plain

最後にみんなで記念写真。

右端の子はうちの街の若いピアニストのジュゼッペ。

名門、ミラノ音楽院で勉強しています。

秋の親睦音楽会 2019

今年も北イタリア日本人会の秋の親睦音楽会に出演させていただきました。

 

今年は5人の歌の方々の伴奏でした。

普段から仲良くさせてもらっている方も、今回初めましての方とも、当日はとても温かい雰囲気で楽しく演奏ができました。

 

今年の会場はIstituto dei ciechi di Milanoのホールでした。

f:id:tangolina:20200326232024j:plain

満員のお客様。

そして毎年恒例の参加者全員での日本の歌の合唱。

f:id:tangolina:20200326232052j:plain

 

毎年言っていますが、こうして日本を遠く離れてもみんなで集まって演奏会ができることは本当に幸せなことです。

ありがとうございます。

 

音楽院の受験

毎年8月の終わりくらいから、9月にある国立の音楽院の入試の伴奏の話が色々増えてきます。

今年はちょっと色々あって、例年以上に色々な音楽院に行きました。

 

受験者の大事な試験ですから、私もいつも以上の責任感を感じて毎回とても疲れます。

そして、毎回のことながら入試はさすがイタリアと言ってしまうのはあれですが、オーガナイズの仕方が悪いのでストレスも倍増。

一つの楽器であっても、音楽院にはいくつかコース(グレード)があるのでコースによって試験日が違うし、イタリア人か外国人かによっても試験日が違うことがほとんど。

私は外国人入試に行くことが多いですが、よくあるのがとりあえず全員その日の朝一に集合させられるパターン。

大抵は名字のアルファベット順なので明らかに最初の方じゃないとわかっていても朝の点呼にいないと受験資格をはく奪されたり、一番最後に回されたりするので朝から行くしかない。

そして、点呼が終わってから自分の番になるまで、きちんとどこか練習できる場所や落ち着いて座っていられる場所があるとも限らない。

さらに、大抵は予想の時間からは始まらず、途中で先生たちの長い休憩があることもよくあるのでともかく時間ばかりが過ぎていく。

あと、外国人入試にはイタリア語が不慣れな人も結構いるし、名前が似ていたり発音しにくかったりで点呼の時点でカオスになる(某音楽院では韓国人受験者が多く、途中から受験者の一人が自分がみんなの名前を呼んでもいいですか?とか言っていたな。別の音楽院では中国人が多くて、その子達ほぼ全部を伴奏することになっていたピアニストが最初から先生と一緒に点呼していたし。)。

今年行った入試で一番スムーズだったの、コモ。

 

私も人生で何回か受験がありましたが、やっぱり一番強烈だったのは日本の大学ですかね。

「願書が届いた順に受験番号が振り分けられるので、願書出すのも少し時期を考える」というのが周知の事実だったことに私は気づかず、はりきってすぐに願書を送ったら1桁の番号が来て、二次試験の時点で一桁の番号を持っているのは自分ひとりになってしまい同じ高校の子はみんな番号知っていてバレバレでした。

長い長い受験を終えた時にもう解放感よりも疲労感で動けなかった。

(そして本当に大変なのはそこからだった)

イタリアの音楽院を受けた時は、ある意味ショック状態というかイタリア語もあまりできなかったし、もはや受験会場に着いただけでほっとしてともかくここにいれば受験できると思ったら元気が出たくらい。

懐かしいな。

ドイツ、そしてバーゼル、旅も後半

ドイツに入ってからは、ティティゼーという湖の近くに泊まりました。

goo.gl

ここにはきれいな海水浴場ならぬ湖浴場があります。

私は泳ぐのは得意なのですが、どうしても湖は海以上に得体のしれない何かがいるのではという感じがして怖くて、「荷物見てるから!」と言って岸で待っていました。

たくさんの人が楽しんでいましたが、みんな全然日に焼けていないのが印象的。

(イタリアの海辺に行くと大丈夫?ってくらい黒く焼けた人が多い)

 

ドイツに入ってからは大きな動物園に行ったり、フライブルグを観光し、滝を見に行ったり湖の近くをハイキングしたりしましたが、観光情報を調べているうちに、なんかすっごい遊園地があるらしいよという話に。

ヨーロッパ・パークという名前で、その名の通り広い敷地内にヨーロッパ各国をテーマにした装飾や乗り物があって口コミを読むとみんな相当楽しんだことがわかります。

goo.gl

f:id:tangolina:20200326201421j:plain

ジェットコースターが大好きだという甥っ子は大喜びだったのですが、高所恐怖症の夫は2つくらいつきあったところで、もう死にそうだと言うので、最終的には私がずっと甥っ子につきあって何回、何種類ジェットコースターに乗ったか。

もう最後の方はくたくたでしたが、意外と自分がジェットコースター大丈夫だということをアラフォーになって知りました(笑)

f:id:tangolina:20200326201720j:plain

役に立たない小ネタですが、イタリア語でジェットコースターは複数形で「ロシアの山」と言います。なぜ??

 

夫の両親、兄弟、母方の叔父さん達、従兄弟達みんなのチャットがあってそれに毎日旅の様子を知らせていたのですが、遊園地に行ったと知った姪たちから次は自分達が旅行したいと言い出したので、その後上の姪の誕生日にイタリアの遊園地のチケットをプレゼント。

姪っ子2人は甥っ子より小さいというのもあるけれど、かなりワイルドなので(笑)ちょっと一緒に(義弟夫婦抜きで)旅行は無理かな・・・もう少し大きくなったら今度は相手にされなさそうだけど(爆)

 

3人の旅も終わりが見えてきました。

最後の目的地はスイスのバーゼル。

フランスとドイツとの国境があるという街。

バーゼルまでくればミラノまでは4時間未満と言う感じなので、朝湖の近くで昼ごはん用の買い物をしていざバーゼルへ。

 

フランスとドイツにいる間は、イタリアの携帯を問題なく使えます。

追加料金なく、多少の制限はあるもののイタリアにいる時のようにインターネットも使い放題。

お金もユーロなので問題なし。

ところがスイスだと携帯は使えるけれども、使った分は追加料金。

なのでローミングを切って、地図を見るとかそういう時だけ使うことに。

私はバーゼルに来たら、バーゼル美術館に行きたかったのですが夫と甥っ子は興味ないというので2人には自然博物館に行ってもらい別行動。

g.page

 

f:id:tangolina:20200326203848j:plain

f:id:tangolina:20200326203902j:plain

f:id:tangolina:20200326203920j:plain

このルソーの絵がお目当て。

館内ユーロでも支払いできます。

お土産に派手な色の美術館のバッグを買いました。

 

大聖堂の近くの広場で作ったパニーノをのんびり食べ、少し街をぶらぶらしてから帰宅の道に。

バーゼルを出た後、イタリア国境までものすごい雨が降っていて夫は元々慎重運転ですが、怖かった。

 

3人の旅もここでおしまい。

甥っ子もいつまで私達と旅行してくれるかしら。